マルティーヌ・キャロル



マルティーヌ・キャロル(Martine Carol 1920年5月16日生)
 [フランス・女優]


 ヴァル=ド=マルヌ県サン=マンデ出身。パリで看護師や歯科医の勉強をしていたが、フランス映画界のスターである女優アンドレ・リュゲとの出会いが人生の最初の転機となる。リュゲのアドバイスに従い、女優ルネ・シモンのもとで演劇を学んだ後、舞台女優としてのキャリアを積んだ。

 マリーズ・アルレーの芸名で各地を巡るうち、その演技を認められるようになる。アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督の目に留まり、コレット原作『牝猫』の映画化にキャスティングされるが、製作には至らなかった。1943年、『La ferme aux loups』で映画デビューを果たす。

 1947年4月10日、キャロルは当時の恋人、俳優ジョルジュ・マルシャルが女優ダニー・ロバンに心変わりしたため、酒と薬を飲んだ後アルマ橋からセーヌ川に身を投げ自殺を図った。しかしタクシー運転手が彼女を救い出し未遂におわった。

 その後、1948年にアメリカ人俳優のスティーヴン・クレインと結婚するが、1953年に離婚。翌1954年にクリスチャン=ジャック監督と結婚すると、『ボルジア家の毒薬』、『女優ナナ』、『歴史は女で作られる』など、夫の作品に立て続けに出演しが、1959年に離婚。同年、フランス人の医者と再び結婚したが、1962年に離婚した。

 1960年代に入ると、1950年代のキャロルを彷彿とさせるブリジット・バルドーの台頭によって、キャロルの名声は翳りを見せ始めた。完璧で人工的な大画面によりキャロルの栄光を作って来た「映画」は、同様にヌーヴェルヴァーグや彼女が無関心であった自然主義によって彼女を衰退へと追いやった。彼女は非常に落ち込んで薬物濫用に走り、体重が激減した。4年の空白とイギリス人実業家との4度目の結婚の後、英国映画『Hell Is Empty』(1963年撮影)に主演したが、直ぐには公開されなかった(公開は死後翌年)。

 数年ぶりの映画をモナコで撮影する予定だったが、1967年2月6日午前2時半、モンテカルロのホテル・ド・パリの自室で、夫が亡くなっている彼女を発見した。死因は心筋梗塞であったが、薬物の大量摂取が原因ではないかと根拠の無い自殺説が広まった。


<<重要なお知らせ>>

@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
@peps!・Chip!!は、2024年5月末をもってサービスを終了させていただきます。
詳しくは
@peps!サービス終了のお知らせ
Chip!!サービス終了のお知らせ
をご確認ください。



w友達に教えるw
[ホムペ作成][新着記事]
[編集]

無料ホームページ作成は@peps!
無料ホムペ素材も超充実ァ