高村智恵子


高村智恵子

高村智恵子(たかむらちえこ 1886年5月20日生)
 [洋画家]


 福島県の酒造業・長沼斎藤今朝吉の長女として生まれた。長沼家は清酒「花霞」を醸造する酒造家で、資産家であった。1903年、福島高等女学校を卒業。日本女子大学校に入学。油絵に興味を持つようになり、1907年に大学を卒業した後は、当時では珍しい女性洋画家の道を選んで東京に残り、太平洋画会研究所で学んだ。1911年には、同年9月に創刊された雑誌『青鞜』の表紙絵を描くなど、若き女性芸術家として人々に注目されるようになっていた。

 同年12月、柳八重の紹介で光太郎と出会い、1913年(27歳)一緒に上高地に行って絵を描いた時に結婚の意思を固め、1914年(28歳)に結婚(1933年8月23日入籍)。結婚後は、金銭的に苦しい窮乏生活を送りつつも制作活動を続けていたが、1918年の父今朝吉の死、1929年長沼家の破産・一家離散など心労が多く、結婚以前から病弱(湿性肋膜炎)であったこともあり、1931年8月(45歳)に光太郎が三陸方面の取材旅行で留守中、統合失調症の最初の兆候が現れる。

 1932年7月15日(46歳)自宅にてアダリン(睡眠薬)の小瓶を丸ごと飲み自殺を図ったが未遂に終わった。壁には新しいキャンパスが立て掛けてあり、遺書には光太郎への愛と感謝と、義父への謝罪の言葉だけが書かれていた。九段坂病院に入院し、1ヶ月後に退院した。智恵子は1938年10月5日、粟粒性肺結核のため死去した。52歳であった。


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