安田忠夫


安田忠夫

安田忠夫(やすだただお 1963年10月9日生)
 [プロレスラー/大相撲力士



 東京都出身。中学3年生の1学期に大きな体を見込まれて九重部屋からの勧誘を受ける。最初は運動経験がないことを理由に断るが、「料理を覚えることもできるぞ。」と九重に説得されて入門に至り、安田として1979年3月初土俵。孝乃富士 忠雄に改名し、1986年5月に新入幕。懐が深く、胸を合わせての左四つが得意であったが立合いを苦手としていた。若手の頃は同部屋同期入門の北勝海信芳や、双羽黒、寺尾常史、琴ヶ梅剛史、小錦八十吉らとともに「花のサンパチ組」と称された。1986年、入幕3場所目に双羽黒から金星を挙げ、更に1987年にも双羽黒から金星を取った。1990年5月に東前頭9枚目で11勝4敗の好成績を挙げ敢闘賞を受賞し、翌7月場所に小結に昇進するが、2勝13敗の大敗に終わり、三役経験は1場所のみに終わった。1992年5月場所を最後に28歳で力士を廃業。

 力士を廃業した後、プロレスラーに転向。1993年6月、新日本プロレスに入門。日本武道館での馳浩戦でデビュー。恵まれた体格と格闘センスでポスト坂口征二として期待されたものの、根っからのギャンブル好きで借金苦に陥っていたこともあり精彩を欠き、私生活では家族とも離縁。穏やかな人柄で橋本真也らからはヤスティの愛称で呼ばれ可愛がられたものの、大きなチャンスを与えられることもなく、結果を出せない中堅レスラーとしての日々が長く続いた。

 のちにアントニオ猪木によって再生され、2001年に総合格闘技デビュー、3月25日のPRIDE.13で佐竹雅昭に判定勝ちを収めて白星デビューを飾る。12月31日の「INOKI BOM-BA-YE 2001」ではメインイベントに大抜擢され、生中継でジェロム・レ・バンナから大金星を挙げた。2002年2月にはIWGPヘビー級王座も獲得した。その後悪役に転向し魔界倶楽部のリーダーとなるが素行不良が再発、2004年に精神修行の旅に出て、正統派に戻るはずだった。しかし復帰から間もない9月15日、新日本プロレスから無期限出場停止処分を受け、2005年1月18日に解雇された。

 その後はIWA・JAPAN、フーテンプロモーション、ZERO1-MAX、ハッスルに参戦。2005年9月15日、ZERO1-MAXを運営するファーストオンステージ所属(預かり)となった。事実上のZERO1-MAX所属であるが、ヒールレスラーであること、素行面の心配が解消されないこと、最初に参戦していたIWA・JAPANの興行を優先することなどの理由により、正式所属とはならなかった。

 2007年10月5日、東京都内の自宅で倒れているところをレフリーの田山正雄に発見され、救急車で病院に運ばれた。警察によると、練炭を使って自殺を図ったが、発見が早かったため一命は取り留めたという。その後、意識が戻った安田は自殺説を否定し「焼肉をしようと思ったが、ガスが止められていたので七輪を買った。そうしたら今度は肉を買う金がなくなってしまい、独り空しく“エア焼肉”を楽しんでいたら、不覚にも眠ってしまって…」と語った。

 2011年2月4日、有志による引退興行実行委員会の助力で安田忠夫引退記念興行「日本とプロレスにおさらばします。」を後楽園ホールで開催。オープニングマッチで曙と、第4試合でのタッグマッチで大谷晋二郎とタッグを組んで高山善廣・鈴木みのる組と、メインイベントでは天龍源一郎と3試合を戦った。試合終了後には引退式が行なわれ、娘・AYAMIが手紙を読み上げ、10カウントゴングが鳴らされた。


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